日々bibiビーム VI

作ったり読んだりなにか書きたくなったり。

編集という仕事は思っていたよりクリエイティブ

私は「出版」に関して門外漢です。

かなり長い間、というかつい最近まで、「編集」というのは誤字脱字を直す仕事、くらいに思っていたところがあって、インタビューや対談の編集は「議事録を作る」のと変わらないイメージを持っていました。

それでも「漫画家さんや作家さんのところに原稿の催促に行きなんとかギリギリで原稿を受け取ってそのまま印刷所に駆け込む」よりは進歩したイメージなのではないかと思います。原稿の催促に行くのは編集の人じゃなくて別に担当の人がいるのかしら??? そんなことも曖昧なワタクシ。

 

そんな私が、コレを読んだのです。

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一つの対談を、36人(かな?)がそれぞれのやり方で読み物にする、という企画。同じ素材(対談)が36通りに調理されるというモノ。

先にお断りしますが、全員分は読めませんでした。お腹いっぱいになってしまって。ごめんなさい。

 

まず1つ目を読みました。面白かったです。糸井重里さんと田中泰延さんの対談だからもともと面白いだろうし、ぶっちゃけ、誰がどうまとめても同じようなものだろうし、そんなのを36人分ていったいどういうこと、と思いながら、、、、

 

2つ目を読みました。

 

2つ目でもうびっくりしてしまいました。同じ素材(対談)なのに、切り出し方が違う。「対談をまとめる」って、どの発言をピックアップするかってことなんだ、と目からウロコが落ちました。

 

そして3つ目。

3つ目も切り出し方が先の2つと違う。

 

うわー、そうなんだ、と思いました。「対談をまとめる」というのは、編集する人の価値観みたいなものが、意識するしないにかかわらず出てきてしまうなこれは、と思いました。

 

対談に限らないのでしょうね。「編集する」ってそういうことなのでしょうね。

編集、コワイ。

 

それからも幾つか読みました。私が読んだ中では同じものは一つもありませんでした。同じ素材なのに、「ココがポイント」と思う箇所を表現する手法がみんな違うし、そもそも表現したいポイントも微妙に違うし、同じ読み物にならない。 

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私の中で、

「編集をする」という仕事はオーケストラで「指揮をする」のと同じくらい創造的な仕事なのだ

という認識になりました。

指揮の場合、同じ曲(素材)でも、指揮をする人によって今までにない表現ができたりするようですし(聴き比べなどしたことがないのですがどうもそうらしい)

編集の場合も、同じ対談(素材)でありながら、編集する人によって意味をどのようにも込められる。

共にクリエイティブだな、という。

 

編集が創造的だなんて考えたことがなかったので、衝撃でした。「雑誌の編集」となると、まるまる一冊が自分の分身みたいになるのかもしれない、と思いました。

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インタビューを受けたり、対談をしたりした人が、それが記事になったものを読んで「自分の意図したことと違うことが書かれている」と感じることがあるようですが、編集する人によってはそういうことも起こるでしょう、と思いました。

編集する人にとって、インタビューを受けている人、対談をしている人たちは、「素材」ですものね。素材を使って編集者自身の考えを表現するのだとしたら、発言者の意図と外れることもあるだろうなあ、と。善意をもって編集するか悪意をもって編集するかで、うんと違うものになるでしょうしね。

話は大きく広がってしまいますけれど、編集者、指揮者、演出家、監督などという各種ディレクターや企業の社長などという、トップにいて人や素材を扱う仕事をしている人は、直接書いたり描いたりプレイしたり営業したりしているわけではないけれども、人や素材の扱い方を通じて自分の中身を表してしまっているのでしょうね。

関係ありませんがplay(プレイ)という単語は便利ですね。