日々bibiビーム VI

作ったり読んだりなにか書きたくなったり。

原美術館『ソフィ カルー限局的激痛』根津美術館『ほとけをめぐる花の美術』スパイラルガーデン『東京造形大学 テキスタイルデザイン専攻領域 有志卒業制作展 テキ テキ』を観ました

「2020年に閉館する原美術館へもう一度行かない?」と友人たちを誘って行ってきました。原美術館の建物そのものが目的だったので、展示の内容は不問、というか何を展示をしているのか知らずに現地到着。

 

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催されていたのはこれ。

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『ソフィ カル - 限局的激痛』。

いやこれ、何も知らずに行って正解でした。

ネタバレになるので詳しいことは書きませんが、読むところが多くて、人がなかなか流れなくて、混雑していることだけは記しておきます。
週末だったので混んでいたのかもしれません。平日はもう少しゆっくり観られるのかしらん。

1階は写真がメインなのですが(読むところもある)、日本を写したもの多くて、海外からいらした方はそういうのが面白いんだなあ、と思ったり、そもそもどれもいい写真でした。2階は読むのがメイン。

1階も2階も観せ方がうまい。すごく伝わるのです、気持ちの動きが。1階で「え?」ってなって2階に流れる仕組みなので、忘れずに2階も御覧ください(我々危うく2階をスルーするところだった)。

 

美術館そのものは、やはり素敵でした。曲線の外壁はオシャレすぎる。閉館するのは建物が古くて耐震強度に問題があるのと、バリアフリー化が難しいからと言うけれど、とても頑丈そうな建物ですよ?バリアフリー化は確かに難しそうだけれど。

 

そして、根津美術館にも行きました。

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アプローチが美しい。

突然の思いつきで行くことにしたので、安定の「何の展示をしているかわからない状態」で突入。友人が「日本の美術を扱うところだよねえ」とのんびりした口調で教えてくれたのが唯一の情報。

この期間の企画展は『ほとけをめぐる花の美術』でした。

実は、我々、25年ほど前のことになりますが、金沢の石川県立伝統産業工芸館で日本美術(を楽しむコツ)に目覚めておりまして(あの経験は宝)、これも絶対おもしろいよね、と入り口で膨らむ期待。

プレートに書いてある作品の解説をじっくり読むのが醍醐味でして、専門用語に「ははあ」「ほほう」と萌え、「どこどこにコレコレが描いてあります」と書いてあったら「どこ?」「あれじゃない」とひそひそ話しながら、友人曰く「解説のイヤホン借りるよりおもしろく」鑑賞してきました。

そもそも仏教絵画に全然詳しくないので、

愛染明王不動明王は燃えがち、ということ。
多面多臂の「臂」の意味を初めて知って「じゃあさっきの一面二臂って普通じゃん?」「だから聖観音て呼ばれるんだよたぶん。基本中の基本ってことかもよ」「!!」となったこと。
そして今日仕入れた技法「截金(きりかね)」。※伝統産業工芸館で目覚めている我々は技法に萌えがち

などなど、間違えて解釈している可能性は大いにありますが、いろいろ気づいたり仕入れたりするのは面白かったです。他にもあったのですが「三歩歩いたら忘れそう」と危惧したとおり、忘れました。

仏教美術の本が読みたくなりました。

根津美術館には散策できるお庭があって、
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私の写真より、本物のほうがうんといいです。今時期は緑が少ないですが、そのぶん虫がいなくて、悪くなかったです。

 

ラスト、スパイラルに行ったらたまたまやっていた東京造形大学の卒業生有志のみなさんの卒業制作展。ぶっちゃけスパイラルに行くこと自体超久しぶり。1995年に内藤こづえさん(現:ひびのこづえさん)の個展に行ったっきりかしらん。前は通ることはあったと思うけれど。つか渋谷−表参道を歩くのはいつぶりですか、という状態。

で、卒業制作展ですが、無料で観られるので観させていただきました。すごかったなあ。テーマの選び方がユニークだったり、とにかく可愛かったり、迫力あったりで、「これ欲しい」という作品ばかりでした。テキスタイルにはもともと興味があるのでのでますます勉強してみたくなりました。

 

いやー、楽しかった。臆せずに若い頃のようにいろいろと展覧会、作品展などを巡ろう、と思いました。ああ、でも、激混みする有名どころは極力避けたいのは若い頃と違うところ。

時期にふさわしいタペストリーを作りたいという希望。

その時期をふさわしいものをモチーフにしたタペストリーなどを飾りたいなあ、と思っているのですけれど、いまだに飾ったことがありません。

自分で作るつもりでいるのに、いっこうに作り出さないので、いつまでも飾れない。

 

最近は桃の節句で、ああ、作りたい飾りたい、と思ったのですけれど時すでに遅し。

 

今からだったらどこに間に合うだろう。桃の節句は終わってしまい、新入学のシーズンに向けて何か作るにも今からだと無理ですな。

んー、端午の節句でしょうか。

 

よし、まずは制作気分を高めるために作るもののイメージをしていこう。作るときはオリジナルで作ると思うので、その参考のためにいろいろ見てみよう。素敵なキットがあったら買ってしまうかもしれないけれど。

 

では早速。

まあ、まずは、グーグルに「パッチワーク 端午の節句 タペストリー」などと入れて画像検索すればいくらでもイメージをみられるわけですけれども。さーっと眺めているだけで楽しくなってきますね。

 

端午の節句ミニタペストリー: キット | 手づくりタウン 日本ヴォーグ社

キット。細長いのっていいですね。ペンシル型、っていうのかな(適当

 

【初心者向け】こいのぼりのミニタペストリー【パッチワーク・キット】/鯉のぼり/鯉幟 | パッチワーク・キルトのお店【キルト・エンジェル】

こちらもキット。真四角ですね。初心者みたいなものなので、このくらいシンプルでもいいかもしれない。

こちらのお店では、ステンドグラス風の作品の型紙も扱っているようです。ステンドグラス風もいいですね。作ったことがないのでいつか作ってみたいです。

 

端午の節句用 兜のミニタペストリー | 手作りパッチワークキットの通販 パッチワーク・ウェンディーズ(WENDY'S)

地の部分に一部ワンパッチを持ってくるのいいですね!パッチだけで作れたらいいと思うのですけれど、ポイントは生地かな。

 

※時間が経つととリンクが切れてしまうかもしれませんが、そのときはごめんなさい。

 

そうですねえ、自分で作るなら、具象的なデザインにはしたくないのと、アップリケはなるべく避けたいという希望があります。

うーん、具象を避けるなら色で表現するしかないのですけれど、たとえば、クリスマスだったら「赤、緑、白」でナインパッチをつくるだけでもクリスマスっぽくなるから、そんな感じで色だけで端午の節句っぽくする。菖蒲な感じの色合いかなあ。それとも鯉のぼり的な色合いかなあ。

んー、そうはいっても色だけで表現するって難しいのですよね。クリスマスくらいわかりやすかったらいいのですけれど。

 

イメージをたくさん集めようと思ったけれど、なんかもうよくなっちゃった。

シンプルなパッチワークで、色勝負、そして大枠はペンシル型、ってことでいいんじゃないかな。いっそステンドグラス風に挑戦してみるのもいいかも(そのときは作りかたを調べなきゃ)。

 

というか、もういっそ、作りたい作品の載っている雑誌や書籍を買ってそれを見て作るのも手ですね。雑誌ならパッチワーク教室とかキルトジャパンとかね。

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布で作ることしか考えていませんでしたが、いろいろ見ていく中にビースで作った兜の作品がありました。

それを見たら、子供の頃、ビーズが流行ったことを思い出しました。同い年の従姉妹がたくさん作っていた気がします。懐かしいなあ。いつだろう、小学生かな。中学は、んー、つるんでいた友達とビーズが結びつかない。高校でもないよなあ。やっぱり小学生の頃。。。いや小学性の頃でも友達とビーズが結びつかないんだけど。。。(ほんとにビーズが流行っていたのか不安になってきた)

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話は戻りますが、今からデザイン始めて、端午の節句に間に合うのだろうか。

いや、来年に完成でもいいのか。

あれ、じゃあ、桃の節句用を来年完成に向けて今から作りだせばいいのでは。となるとこの記事の意味よ。

 

本を教科書にするとその本への愛おしさが激増する現象に名前をください。

本を読むときに、ペンを片手に持つ、なんてことは普段はまったくしていません。本に書き込みたくないし、ページの角を折りたくないし、なんというか、本は綺麗なままで置いておきたい派です。基本。

読んでいるときに「ここいいな」と思うところには付箋を貼っておくくらいですかねえ。

 

ところが。ところがですよ、「この本を教科書にする」と決めたとたんに、線は引けるし、角は折れるし、なんならきれいなページがある方が落ち着かなくなる。

そんな変貌っぷりに自分自身で驚いてしまった話をします。

 

まあつまり、勉強しようと思ったのです。物理をです。
「文系でもわかる」系の物理の本を読んだときに、すべてをスッキリと理解できなかったわけですよ。日本語で書いてあるのに内容がわからないとはこれ如何に。

私、文系だからしかたないのかな、物理なんて苦手だったしこんなものかな、と思いましたが、

いやいや、まてまて、だからこの手の本は、そういう人にもわかるように書いてあるんじゃん、だからわかるはずじゃん

というのと

物理、今、面白いんだって

というので、いきなり物理について理解したくなったのですよね。中でも今はやりの素粒子物理学。もちろんガチのは無理なので、少なくとも、文系でもわかるように書いてある本の中身を理解できればいいんじゃない、と思い立ち、拳を天につき上g

 

で、この本を教科書にする、という本を一冊決めました。その本に書いてあることを理解する。
そして、読むだけではアレなので、勉強した内容を記事にしてアップしていこうと思ったのです。読むだけでは視線が文字の上をさまようだけで迷子になる可能性がありますからね。いや可能性どころではない、難しい本の場合そんなことばかりですからね。アウトプット大事ですよ。アウトプットで理解が深まるのですよ(何かで読んだ

ということで、別のプラットフォームにアカウント作り、教科書を少しずつ読み進めてほぼ毎日アップしているのが今です。

 

いやほんとにね、記事にしようと思ったら本気で本を読みますね。で、線を引くんですよ、躊躇なく。驚きです。本は綺麗なままで置いておきたい派が躊躇なく線を引く。

で、この感覚は初めてではないのですよ。なんだっけこれ、と考えていたらですね、正体がわかりました。受験勉強のときのアレですよ。教科書が書き込みで一杯になったら努力が目に見えるようで嬉しいみたいなアレ。何度も見返すから小口が手垢で汚れるみたいなのも同じようなアレ。

 

そもそも教科書ですよ。教科書の「自分の物」感が半端ないってよくわかりました。今までの「本はきれいにしておきたい」というのは、本の循環を意識していたのですよ。誰かにもらってもらったり、寄付したり、売ったりというね。手元に残しておく気があまりなかったというか。だけど、

今教科書にしている本は、まず手放さないと思う。

苦楽を共にしている感があって愛着ありすぎる。なんなんですかね、これ。

 

「読書の仕方」的な本で、線を引け、とか、どんどん書き込め、とか言われますけれど、私は、ああそうですか、って右から左に流してまったく実行する気はありませんでした。逆になんで線引かないとだめなの、くらいに思っていましたが、

あれは、本気で勉強するときの心構えだったのですね。そういう読み方をしないといけないときがあるんだな、と遅ればせながら理解しました。

本を読むのは好きで、いろいろ読んできたけれども、学校の教科書以外でそんな読み方をしなくてはいけない場面はなかったもんなー。(たぶん

(え、いや待って、まさかみんな読書するときに毎回ガチガチに構えて読書するの?そんなことないよね?気楽に読む本もあるよね?) 

 

で、次に書くことは本に書き込むのとは違うのですけれど、勉強つながりで、もう一つ。

「本は音読しなさい」ということも聞きますよね。私、試しにやってみたことがあるのですが、音読すると声を出す方に気を取られて、逆に内容が頭に入ってこなくなるのですよ。音読は邪魔でしかない。内容は目で追っていったほうがうんと頭に入る。ってことで音読なんてしない派だったのですよ。 

だけどね、

物理の本を読んでいると、読んでもわからない、目線が文字の上っ面しか捉えないことが出てくるのです。それぞれの単語の意味はわかるけれど文字列になると意味不明、みたいな。

そんなとき、無意識で声を出して読んでいましたね。一番多かったのは、周りがうるさいなかで読んでいるとき。難しいものを読んでいるときは周りの音に気が散るんですよ。声を出すと集中できるのね。大きな声じゃなくて、小さくブツブツいうだけでもよかったです。
電車の中で面白い本を読んでいるときは、周りの音なんて全然聞こえないくらい集中していて、最寄り駅で降りそこねるくらいなのにねー。

で、周りがうるさくないときも声を出して読んでいたときがあって。同じく黙読だと上滑りする、わけのわからない箇所ですよ。そういうところって一節ずつゆっくり、自分に言い聞かせながら声に出して読むのね。あれ、面白いね。自然に声に出すのね。音読も勉強には効くのだなあ、と思いました。

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私が今しているのはなんちゃって勉強ですけれど、受験とか資格試験とか関係なしに勉強するのが一番面白い気がしますね。自分のやりたいことをやっているからでしょうね。なにかに役立てるために勉強してるんじゃなくって、自分の好奇心を満たすためというのがね。

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まさか高校卒業してウン十年経ってからの物理の勉強を楽しく思うなんて、高校時代の私は思いもしなかったよなあ(ちなみに受験で選択した理科は生物。生物は受験勉強でも面白かったです。点数は稼げませんでしたが)。