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日々bibiビーム VI

作ったり読んだりなにか書きたくなったり。

「大器晩成」は難しいと思った話。

小学生高学年女子って「占い」が好きなイメージがあるのですがどうでしょう。ちょうど「〇〇くんかっこいいー、きゃー」などと言い出す頃で、昔々のことになりますが、私も私の周りも占いが大好きでした。

 

で、小学生ではなかったと思うのですが、ハイティーンのころだったかなあ、手相か四柱推命か忘れましたけれど(いろいろとアバウト)、

星座占いとは違う占いで、「大器晩成型」です、と出たことがありました。まだ若かったので「『晩』っていつだよ」と思いつつ、大きく成功するのは今日明日のことではなく年をとってからなんだなという認識で、今日まで過ごしてまいりました。あの占いからずいぶん経ちましたがいまだに大器の片鱗は見えてきません。まだ時期ではないということでよいでしょうか。

 

などとつらつら思っていたときに、ふと、

 

待てよ、

 

人って、たいがい「大器晩成」型なのでは?

あの占いはアタリマエのことを言っていただけなのでは?

 

 

だってね、人って、生活していたらいろいろ経験して、学校で学ぶのとは違う勉強をすることになるわけです。したくなくてもしちゃうし、そうやって経験の引き出しを増やして、10年前より確実に賢くなるのですよ。そうすると、何かをしようとするときに、

10年前よりは経験が貯まっているので活かしやすいだろうし、

感情のコントロールも若い頃よりはできるだろうし、

尖りも減って世の中うまくわたっていけそうだし、

年をとったらその分だけ何かを成し遂げる確率があがるのでは?

 

それを若くしてやっちゃう人もいて、それはすごいことだし、ほんとに地頭がいいのだと思います。うらやましい。

 

で、実際問題、自分の20代を振り返ると、とても刹那的であり、何かを成し遂げられたであろう気配はさらさらありません。30代は不安が強くて余裕が全然なく、冷静に振り返ってあの頃の自分はおかしかったですし、今は、もうすぐ50代に手に届きそうなでもまだ40代なわけですが、うーん、そうだなー、中身は10年前より確実に成熟していっているけれども、まだ途上な感じ。10年後に今を振り返ると「何が成熟だよ、まだまだだよ」って自分にツッコむのが見えるレベル。

若くして頭角をあらわすタイプでは、明らかに、ない。

 

えー、

 

晩成の「晩」っていつですか? 30年前と変わらない疑問 。まだまだ修行中です。

 

 

「『晩』がいつなのか」問題はありますが、たいていの人がそのうち「晩成」するとして、しかし、「大器」かどうかというのは別問題だ、と今気づきました。

私はどこで「自分は『大器』である」という希望を捨てたらよいのでしょうか。まだ夢をみていてもよいでしょうか。

 

Google先生に「大器晩成」を聞いてみました。 

たいきばんせい
大器晩成
 
  1. 本当の大人物は、若いころは目立たず、徐々に実力を養っていって後に大成するということ。
     

「本当の大人物」・・・・。

 

goo辞書先生はこうおっしゃっています。

たいき-ばんせい【大器晩成】の意味

新明解四字熟語辞典

    • 大きな器は完成するまでに時間がかかることから、真に偉大な人物も大成するのが遅いということ。大人物は遅れて頭角を現すということ。才能がありながら不遇である人に対する慰めの言葉としても用いる。▽「大器」は偉大な器量をもつ人。「晩成」は多くの時間を費やして成就すること。

 

大人物じゃないと駄目なようです。

 

わかりました。自分が大人物であるとはまったく思わないので「大器」は諦めます。小さいことを成し遂げられたらいいです。小器でいいです。「家族が健康に過ごす」とかでいいです。

そうだなあ、「大器晩成」型と言われたときに、はっと気づいて何かを始めて、コツコツ続けていたらちょっと違う人生を歩んでいたかもしれないですね(まあ、そこで気づく才覚があったら、早めに才能を開花させている気がするけれど)。

今に不満があるわけではないですけれど、パラレルワールドで生きている自分も覗いてみたいわ。

パラレルワールドって小説になるよなあと思ったら、今、Chrestomanciシリーズを読んでいました。

現金合わせは記憶力との勝負 ー『予算生活の家計簿』をつける

『予算生活の家計簿』には「現金の収支」というページがあって、そこで計算上の現金と、実際の現金(お財布に入っているお金)が合っているかチェックできるようになっています。「現金合わせ」ですね。

合わなかったら、何かの記入を忘れているということ。レシートがあればたいてい合うのですが、レシートがなくて合わないときは、記憶力との勝負です。(たまに負ける

 

毎日記帳をしていれば現金合わせでつまずくことは滅多にないと思いますが、白状すると、私、わりと記帳を溜めます。この頃は溜めても2、3日ですが、最長で2週とかありました。それだけ溜めても現金合わせがビシッと決まった時は爽快です。※オススメしません

 

2週間分の記帳をわざと溜めることはおすすめしませんが、どうしても溜まってしまうことってありますよね。ええ、あるのです。

 

そんなとき、私はまず、お財布の中にたまったレシートを時系列に並べて、金額と用途を紙に書きます。日付ごとに書きます。レシートのない取引もがんばって思い出します。このとき書くのは、現金を使った支払いだけです。クレジット分の記帳は後回しにしても大丈夫です。逃げません。逃げていくのは現金です。

全部書きだしたと思えたら、溜める前の現金残高から、溜めてしまった分(今書き出した分)を引きます。もし現金で収入があったらその分は足します。

そして、お財布に入っている現金と、計算した金額があっていたら、現金合わせは終了。ガッツポーズします(しなくてもいいです)。そのあとは落ち着いて、日付ごとに「現金の収支」のページに記入するのと同時に、それぞれの費目欄にも記入します。余裕があれば、クレジットで買い物した分も費目欄に書きますけれど、たいていは余裕がないので、翌日以降に回します。

 

残念ながら、お財布に入っている現金と計算した金額が合わなかった場合。

まず、レシートが本当に現金の支払いのものなのかをみます。そして、クレジット支払だと思っていたものの中に現金支払い分が混ざっていないか確認します。

それを修正するだけで解決することもあります。

 

まだ合わないとき。

支払金額だと思って紙に記入した金額がじつはお釣りの金額だった、ということもあるのでチェック

そんなこともあるのです。商品の合計金額とお釣りの金額が同じ大きさのときがあるので、ええ、間違えることがあるのです。

 

まだ合わないとき。

紙に日付ごとに書き出したものを見ながら、記帳をサボった間、自分は何をしていたか思い出します。すでに書かれている用途からその日のことを思い出すこともありますし、手帳をみたりスマホで撮った写真をみたりして思い出すこともあります。外出した日が一番怪しいです。レシートのない取引はなかったか。割り勘で食事代を払ったり、借りたお金を返したり、貸したお金を返してもらったり、自販機でお茶を買ったりしなかったか。あそこの駐車場代は無料だったか。記憶力との真剣勝負です。

 

それでもだめだ全く思い出せなくてどうにも現金があわない、そんなとき。

 

現金を合わせるのは諦めます。負けです。合わない分を「不明金」として特別費に記入します。「現金の収支」の欄にもその分を記入して、計算上の現金とお財布の現金を合わせます。

 

そして、もう記帳を溜めるのは懲り懲りだと反省しながら一旦リセット、

翌日から新たな気持で現金を合わせていきます。

 

負けると悔しいので、負けないために、もらえるレシートは極力もらい、レシートがないときは、発生したときに何かにメモするように心がけています。スマホのメモ機能を活用することが多いです。

「このくらい覚えていられる」っていうのが最近ほんと覚えていられないのだと思います。角を一つ曲がったらもう忘れていますからね。

 

 

【読みました】何を読んでもストレスをどうするかって話になるわよね

この本を読みました。

「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 藤本 靖|さくら舎 ※出版社のサイトにリンクしています

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この本を読みながら考えていたのは、

 「感覚」を言葉で表すのは難しいのだなあ

 ということでした。

 

この本の内容をざっくりいうと、

目、耳、鼻、口という感覚器官(センサー)を上手に使って疲れを取る方法、

姿勢を気にして疲れを取る方法、

身体の軸を確認して疲れにくくする方法を

実際に試してみて楽になるのを感じてみようというものです。

 

ところが「こうやれば、こんな風に感じてくるはずです」と言われても、私にはその感覚がなかなかわからなくて。鈍いのかなあ。でも、耳をつまんで動かすのは(著者が意図する成果が得られたかはわかりませんが)普通に気持ちよかったです。

センサーの中の、鼻については、坂道を歩きながら鼻腔を意識しながら呼吸してみると息が切れなかったので、呼吸が深くなるという効果が得られたっぽいです。

それ以外は著者の意図する感覚がわかりませんでした、スミマセン(上の例もわかったと言えるのか微妙ですが)。

 

言葉で動きを説明するのは難しいけれども、得られる感覚を言葉で表すのはさらに難しいものだな、と思いながら読んでいました。多少のイラストを添えて動きの説明をしてくださってはいるのですが。

書き手が最善をつくして動きや感覚を表現しても、読み手の方で再現するのが難しいということもあるでしょうし、この本に限らずこの手の本はねえ、なかなか難しいですねえ。

身体能力の高い人なら、読んですぐに感覚がつかめるのかもしれないですね。残念、私は身体能力が高くなかった(と子どもの頃から自覚しています)。

 

正しい身体の使い方ができるようになるための方法が書かれているはずなので、それが(私に)伝わらないのがもったいない、(私が)掴みきれないのがもったいない、と思う本でした。先の記事で「オットの観ているドラマのセリフが耳に入ってきて、考えに集中できない」と書きましたが、それも、この本に書いてあるとおりに距離感をつかむことができたら解決するかもしれない、と思いました。

そのときの記事はコチラ:BGMを活用するようになった話。 - 日々bibiビーム VI

 

話はそれますが、「感覚」というのは人と比べられるものではないので、そもそも難しいですよね。「自分の感じ方」しか知らないから、それが標準だと思っているし。

普段から浅い呼吸をしている人は、それが自分の「標準」で、それ以外の呼吸の感覚がわからないから、自分の呼吸が人より浅いなんてそうそう気づかないもの(私

 

 □□□□□ 

 

こういう「疲れをとる」とか「やる気をだす」ための本を、いろいろな方がいろいろなアプローチで書かれていますけれども、目的は一つ、結局のところ

過度なストレスからの開放

なのですよね。ストレスを減らせば疲れも取れるしやる気も出るよ、という。

 

ストレスとはそもそも何か、という知識からのアプローチ、

考え方を変えてみようという、精神面からのアプローチ、

身体の中から整えよう、という食事からのアプローチ、

そしてこの本のような

身体の使い方を正そう、という運動面からのアプローチ

 

などなどなど、アプローチの仕方は様々です。今思いついた順に書きましたけれど、他にもあるかな。直接「ストレス」と謳っていなくても「疲れ」や「やる気」を扱うと結局「ストレスをどうするか」という話になってしまいますね。興味深いですね。

 

私は、身体の調子が悪い(だるい、重い、疲れる、などの)ときは、心と身体の両方を整えないと元気になれないと思っています。

どちらを先にケアすればよいか、というのは、これは私の考えですけれども、

ものすごく疲れて、ただただ寝ていたいような日々が続くときは、精神論で「気の持ちようだー!」などと言われても心が動きません。

そんなときは、食事の改善から試みたらいいのではないかと思っています。身体を中から整えるのが先。ぶっちゃけ、ただただ寝ていたいときは食事の支度すらイヤなのですけれど、食べないと疲れたままなので、そこだけは無理やりなんとかする。だからといって、ジャンクなものばかり食べるのは違うと思っています。食事支度は面倒なので(個人的な意見です)ジャンクに流れてしまいがちなのですけれど、そこは耐えましょう、未来は元気でいるために。「一汁一菜」という、心強い考え方がありますので、ご参考まで。

土井さんの著作を読んだときの記事はコチラ:【読みました】『一汁一菜でよいという提案』 - 日々bibiビーム VI

 

身体の中を調えて、午前中ならなんとか身体が動くところまで回復させたら、その頃には気持ちも少しは元気になってきていると思います。その状態を維持しながら、次は心の持ちようを変える方法を探ってみたり、身体の使い方を変えてみるなど、興味のある方法を試してみて、あとは「寝る」ことかな。ストレスの話になると高い確率で「質の良い睡眠」がキーワードになっている気がする。

 

5、6年前、私、エネルギーが枯渇して、ほんとに身体が動かなくて辛かったことがあるのですよ。今はそのころよりずいぶんマシになりましたが、今でもちょっとした外出ですぐにエネルギーが枯渇するので、こういう本をときどき読んでいます。ただ単に老化なのでは、という説もあるのですがそんなの断固として認めん。

 

書きながらふと思ったこと。

人工物に囲まれていたり、いろいろ便利になってしまったりで、昔は研ぎ澄まされていた感覚や能力が今は鈍ってきているという話が巷にあり、鈍るというと「退化」しているように思えますが、

実は人類の「進化」なのかも。100年(100年が妥当かわかりませんが)もしない間に急激に「快適」になったので、人類は今、種として混乱しているのでは。荒唐無稽ではありますが、それで今、みんなが「ストレスをどうしようもできない」という状態に。

これがあと数千年もしたら、ヒトは余剰ストレスをエネルギーに変えるように進化していって、「ストレス不足で動けない」などと言い出す可能性が、あるとかないとか(ない)。

※人類が文明を保ったまま存在していたとして