日々bibiビーム VI

作ったり読んだりなにか書きたくなったり。

【雑談】どうでもいい話s

どうでもいい話①

先ほどMacのOSをアップデートしたら、日本語が打てなくなっていて焦りました。よく見たら入力ソースから日本語が消えていたので、「環境設定」の「キーボード」から設定し直しです。

ちなみに私の入力ソースはこんな感じです。Googleさまありがとうございます。

あ、ドイツ語のソースも消えてる。

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どうでもいい話②

子と一緒におやつを食べようと思って同じ内容を用意したら、子が「要らん」といってその一部を私にくれました。その分別のものを渡したら、それも要らないと言うので私が食べる羽目になって、結局私が「おやつ食べすぎて晩御飯が食べられない人」になりました。なんで。

 

どうでもいい話③

ムーミン物語の発表順

『小さなトロールと大きな洪水』

ムーミン谷の彗星』

『たのしいムーミン一家

ムーミンパパの思い出』

ムーミン谷の夏まつり』

ムーミン谷の冬』

ムーミン谷の仲間たち』

ムーミンパパ海へいく』

ムーミン谷の十一月』

 ※小さなトロールと大きな洪水』は「長い間出版されなかった幻の一作目」だそうです。

 

 どうでもいい話④

あんみつと水羊羹と抹茶パフェとえーっととにかくあんこを使った冷たいスイーツが食べたい。

 

 

 

小さなノートを当座帳の代わりに使っています ー 『予算生活の家計簿』をつける

少し前に、記帳をしばらくサボったときの現金合わせは記憶力との勝負、というものを書いたのですが、

 ↓これです

 

その中で、とりあえず思い出せるだけの現金取引を時系列で全部書きだす、ということを書きました。

記事の中では思い出したものを「紙に書く」と書いたのですけれど、実際は、私は小さなノートに書いています。書き出す紙をそのたびに探すより、家計簿と一緒に専用ノートを置いておくほうが効率が良いのではと思ったのと、記録として残るのがいいな、というのがノートを使う理由です。ちなみに私が使っているのはB6 A6サイズのノートです。

これが『予算生活の家計簿』ではなくて『羽仁もと子案家計簿』だったら、『当座帳』がその役割をするのですよね。いや違うな、当座帳の代わりにミニノートを使っている、というのが正確なところです。当座帳を買おうかとも思ったのですが、私はミニノートで十分でした。それにミニノートのほうがずいぶんとお手頃価格ですし。

 

このミニノートには殴り書きしかしていないので後から見直すのはツライのですけれど、記録が残っていると便利なことがあります。

(私だけかもしれませんが)数日後にまた記帳を溜めてしまって、現金取引の記憶を遡っていると、

えーっとあの時のアレは記帳していたっけ?

ということがたびたびあります。『予算生活の家計簿』の「現金の収支」のページには、その日に支払った現金の「合計」しか書いていないので、その内容がわからないのですよね。費目別のページを丁寧に見ていけばそのうちわかるのですけれど、時間がかかります。そんなときに、ミニノートをチャッとみると、ちゃんと書いてあるのです。

 だから、そうですね、記帳を溜めたときだけに使うのではなくて、記帳を溜めていなくても、現金の取引が何件かあった日はミニノートに明細代わりに書き込んでおくと、あとで役に立つかもしれません。

 

明細代わりと言っても、

現金を合わせるためのメモをノートに書いている

という体裁なので、私はレシートの合計金額を書くだけです。お店の名前も一緒に書いています。お店の名前が思い出せなくても何かテキトーに書いておきます。金額しか書いていないとあとで見たときになんだかさっぱりわからないので、思い出すきっかけになりそうな単語をチョロっと書いておきます。

でもこのノート、なんかもっと発展した使い方もできそうな気もしますね。今は全然思いつきませんが。

 

編集という仕事は思っていたよりクリエイティブ

私は「出版」に関して門外漢です。

かなり長い間、というかつい最近まで、「編集」というのは誤字脱字を直す仕事、くらいに思っていたところがあって、インタビューや対談の編集は「議事録を作る」のと変わらないイメージを持っていました。

それでも「漫画家さんや作家さんのところに原稿の催促に行きなんとかギリギリで原稿を受け取ってそのまま印刷所に駆け込む」よりは進歩したイメージなのではないかと思います。原稿の催促に行くのは編集の人じゃなくて別に担当の人がいるのかしら??? そんなことも曖昧なワタクシ。

 

そんな私が、コレを読んだのです。

www.1101.com

一つの対談を、36人(かな?)がそれぞれのやり方で読み物にする、という企画。同じ素材(対談)が36通りに調理されるというモノ。

先にお断りしますが、全員分は読めませんでした。お腹いっぱいになってしまって。ごめんなさい。

 

まず1つ目を読みました。面白かったです。糸井重里さんと田中泰延さんの対談だからもともと面白いだろうし、ぶっちゃけ、誰がどうまとめても同じようなものだろうし、そんなのを36人分ていったいどういうこと、と思いながら、、、、

 

2つ目を読みました。

 

2つ目でもうびっくりしてしまいました。同じ素材(対談)なのに、切り出し方が違う。「対談をまとめる」って、どの発言をピックアップするかってことなんだ、と目からウロコが落ちました。

 

そして3つ目。

3つ目も切り出し方が先の2つと違う。

 

うわー、そうなんだ、と思いました。「対談をまとめる」というのは、編集する人の価値観みたいなものが、意識するしないにかかわらず出てきてしまうなこれは、と思いました。

 

対談に限らないのでしょうね。「編集する」ってそういうことなのでしょうね。

編集、コワイ。

 

それからも幾つか読みました。私が読んだ中では同じものは一つもありませんでした。同じ素材なのに、「ココがポイント」と思う箇所を表現する手法がみんな違うし、そもそも表現したいポイントも微妙に違うし、同じ読み物にならない。 

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私の中で、

「編集をする」という仕事はオーケストラで「指揮をする」のと同じくらい創造的な仕事なのだ

という認識になりました。

指揮の場合、同じ曲(素材)でも、指揮をする人によって今までにない表現ができたりするようですし(聴き比べなどしたことがないのですがどうもそうらしい)

編集の場合も、同じ対談(素材)でありながら、編集する人によって意味をどのようにも込められる。

共にクリエイティブだな、という。

 

編集が創造的だなんて考えたことがなかったので、衝撃でした。「雑誌の編集」となると、まるまる一冊が自分の分身みたいになるのかもしれない、と思いました。

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インタビューを受けたり、対談をしたりした人が、それが記事になったものを読んで「自分の意図したことと違うことが書かれている」と感じることがあるようですが、編集する人によってはそういうことも起こるでしょう、と思いました。

編集する人にとって、インタビューを受けている人、対談をしている人たちは、「素材」ですものね。素材を使って編集者自身の考えを表現するのだとしたら、発言者の意図と外れることもあるだろうなあ、と。善意をもって編集するか悪意をもって編集するかで、うんと違うものになるでしょうしね。

話は大きく広がってしまいますけれど、編集者、指揮者、演出家、監督などという各種ディレクターや企業の社長などという、トップにいて人や素材を扱う仕事をしている人は、直接書いたり描いたりプレイしたり営業したりしているわけではないけれども、人や素材の扱い方を通じて自分の中身を表してしまっているのでしょうね。

関係ありませんがplay(プレイ)という単語は便利ですね。